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2016 年 05 月 04 日

シリーズ4 熊本の被災者の方々へ~東日本大震災の学びから

日本は、世界でも発達した防災戦略を持つ国の一つです。建物には厳重な耐震基準が適用され、児童は誰も地震が起きたときの対応を学んでおり、津波や噴火を知らせる警報があります。それでも、九州を4月に襲った一連の地震で、49名が亡くなり、1,350名が負傷し、196,000名が避難生活を余儀なくされています。(4月17日付けジャパンタイムスより)
 
これまで日本では、被災者支援や復興政策を政府官僚がトップダウンで指揮してきました。しかし、5年前に東北で起きた大震災と津波の災害の経験を経て、慈善団体、非政府組織(NGO)や民間企業の受け入れも進んできています。カタールフレンド基金(QFF)は、中東カタール国による1億米ドルの寄付を財源とする、東日本大震災の復興支援組織の一つです。東北の支援を通じて得られた教訓が、いま、九州で活かされています。
 
4月14日と16日に大きな地震が襲った熊本県で、女性の避難者特有のニーズを拾い上げ、女性を決定プロセスに参加させていく、ということがまた十分にできていないことが、東北の経験から指摘されています。元千葉県知事で、QFFの支援により、東北3県で避難所運営のワークショップを開催した、男女共同参画と災害・復興ネットワーク(JWNDRR)代表の堂本暁子氏は、「女性はただ受け身でいるだけでなく、避難所の運営に積極的に参加していかなければなりません。」とコメントしています。
 
熊本で1回目の大きな地震が起きてからすでに2週間以上経ちますが、90,000人余りがまだ避難所で生活しています。共同通信によると、地震によって亡くなった49名に加え、14名が「避難生活のストレスや疲労などの複合的な要因」によって亡くなっています。
 
熊本でも、東北の震災と同様、新しい安全基準が導入される前に建てられた、古い木造の家屋に住んでいた高齢者の方々が数多く犠牲となりました。被災者は、食料も限られ、衛生状態にも気を配らなければならず、寒く、快適でない避難所で生活をしています。東北の震災の経験から、このような避難生活を送る高齢者は特に体調を崩しやすいことがわかっています。実際、福島県では、地震と津波の被害よりも、避難生活によるストレスが原因で亡くなった被災者の方が多かったのです。
 
避難所の多くは学校の校舎を使用しているため、熊本県にいる150,000名の子どもたちの多くが学校に通えなくなっています。熊本市国際交流振興事業団(KIF)では、日本語の災害情報を10カ国語に翻訳し、熊本市国際交流会館を避難所として提供、外国人の被災者が身を寄せています。
 
読売新聞によると、倉庫や支援物資を分配する人手が足りないため、被災者の物資が少なくなっており、政府と熊本県の対策本部は4月27日に避難所にタブレット端末を配布し、インターネット上のデータベースに直接、物資を要請するシステムを導入しました。
 
2回の大きな地震の結果、各地の避難所では対応しきれないほどの人が避難者となって押し寄せました。衛生状態が悪い中、ノロウイルスの集団感染が発生、また数日間、車で避難生活を送っていた50代の女性が静脈血栓塞栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)で亡くなりました。医師によると、同様のケースが97件ほど確認されています。エコノミークラス症候群は、長時間、同じ姿勢をとり続けることによって発生する血栓が原因と言われています。
 
特に血栓症にかかりやすいのは、高齢者、肥満体型の人、妊娠中の女性、糖尿病、高血圧、静脈瘤などの患者です。東日本大震災で、避難生活を送る人々の巡回検診を、QFFの支援を受けて行った岩手県の盛岡市立病院では、特に車で生活し、足がむくむことが多い避難者に、着圧タイプの靴下の着用を勧めています。また、運動、十分な水分補給、頻繁にトイレに行くことも予防のために勧められていますが、女性は特に、水が流れず、衛生状態も悪く、混雑するトイレを避けるため、水分の摂取を控える傾向が強くなっています。
 
また、多くの女性が衛生用品の不足に悩まされています。日本では子育てを母親が担うため、母親たちがおむつや赤ちゃん用のミルクなどの物資を必死に求めています。東北の被災支援を通じて、女性特有のニーズが、防災戦略にあらかじめ組み込まれていなかったことを、JWNDRRは発見しました。避難所で暫定的に構築される上下関係においては、「時代遅れの価値観を持つ、年齢が上の男性」が上に立ち、決定プロセスから意図的に除外された女性たちが、差別に黙って耐える構図が生まれがちだと、堂本氏は指摘しています。
 
堂本氏は、同じパターンが熊本の被災地でも繰り返されることを懸念しており、「完全に男性中心で避難所が運営されると、女性が困っているかどうかすらもわかりません」と発言しています。JWNDRRはQFFの助成金を使って東北地方に女性向けのリーダシップトレーニング・ワークショップを実施し、この問題に対処しています。
 
現地の報道機関は、熊本で、健常な男性のニーズ以外は拾い上げられていない状況を報じています。例えば、県内で高齢者や障害者を1,700名収容できる避難施設が準備されましたが、情報が十分に広まらず、最初の地震から2週間以上経っても、施設に受け入れられたのは129名に留まっています。
 
数多くの自然災害を経験している日本は、その経験を活かし、世界中で最も災害対策が発展している国と言っても過言ではありません。九州新幹線は震災後、何日も経たないうちに運転を再開しました。しかし、進む高齢化や組織的な多様性の欠如など、社会の構造的な問題によって、せっかくの対策もうまく機能しない可能性があります。NGOや慈善団体の声に耳を傾けることで、より弱い立場の人々のニーズを、政府がもっとすくい上げられるようになるでしょう。
文責:ルーシー・アレクサンダー
 
詳しい情報はこちら:
熊本市への寄付:
http://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=2580&class_set_id=2&class_id=1864
熊本市国際交流振興事業団(KIF):
http://www.kumamoto-if.or.jp/kcic/default.asp
男女共同参画と災害・復興ネットワーク(JWNDRR):http://jwndrr.org/

カタールフレンド基金(QFF):http://qatarfriendshipfund.org/jp/ 

 

2016 年 05 月 03 日

シリーズ3 子どもたちへの教育分野

  東北の被災地は一見、最先端の科学研究所や体験型学習施設が建つような場所ではないように思えます。しかし、宮城県仙台市と福島県いわき市は、これらの画期的なプロジェクトを、被災地の復興プロジェクトに資金を支援する、カタールフレンド基金(QFF)の援助を受け、完成させました。おそらくQFFの支援なしには、これらの施設建設のための資金調達は難しかったでしょう。

 
東北の復興は、人手不足や地域社会再建に対する利害調整といった形式的な仕事の進め方によってスピードが妨げられ、遅いペースで進みました。民間の支援や慈善支援団体は、東北大学のカタールサイエンスキャンパスや、仙台市といわき市のスチューデント・シティ、ファイナンス・パークといった画期的なプロジェクトのための財政的支援先を探していた地域社会にとって命綱となりました。
 
岩手県、宮城県、福島県の海岸線沿い地域の学校では、5年前の地震、津波や原発事故といった震災が起こる前から人口減少に悩まされており、6,500以上の学校(1)が損傷し、500人以上の子どもたち(2)が亡くなった震災後においては、その傾向が著しく増大しました。50万人近くの人が、避難を余儀なくされ3、1,500人以上の子ども4は両親または片親を亡くし、兄弟、友人、同級生、先生を亡くした子どもは、何千人もいました。
 
[1]http://www.japantimes.co.jp/opinion/2011/04/05/editorials/getting-kids-get-back-to-school/#.VvJGyhJ975Y=
[1] http://www.japantimes.co.jp/news/2011/04/29/news/378-students-killed-158-missing-in-disaster/#.VvJH2RJ975Y
[1]http://www.reconstruction.go.jp/english/topics/GEJE/index.html
[1] http://www.japantimes.co.jp/news/2012/02/23/news/grandparents-stifle-grief-to-raise-orphaned-boy/#.VvKLeBJ975Z
 
今日、東北の学校は人口の減少だけでなく、心に傷を負った子どもたちへのケアと直面しています。こうした子どもたちには、自己表現や実地体験の場が少ない日本の伝統的な教育法では、サポート不足だと現場の教育者は感じています。
 
カタールフレンド基金の支援によって建設され、公益社団法人ジュニア・アチーブメント日本によって運営される、宮城県仙台市と福島県いわき市にあるスチューデント・シティ、ファイナンス・パークでは、教室の外で企業家精神に溢れた実践的なスキルを子どもたちに教えています。地方自治体のレポートによると、 “これまでの一般的な日本の教育は、知識の蓄積により重きを置く”一方で、 カタールフレンド基金のプロジェクトは“体験型の教育プログラムを東北の小学生、中学生に提供”しています。その意図は、子どもたちに学びの目的と、その学びが自らの将来のキャリア形成にどのように結びついていくかを理解してもらうことにあります。このプログラムは、現在主流である日本の教育理論とは異なる、“自立的思考、意思決定能力、人と違うことをする勇敢さ”の価値を伝えます。
 
 
「11,410以上もの小中学生が、このカリキュラムの一貫として、経済と社会の構造について学び、彼らに自身の将来の進路について考える機会を得ています。」とカタールフレンド基金親善大使・別所哲也さんは述べています。
 
例えば、小学生向けのスチューデント・シティでは、地元や一般の企業の店舗を再現したがブース内で、小学生高学年の生徒が、商品を売る側と買う側にわかれ、働くことやお金の流れを体験を通して学びます。
  
ブースを出展している地元アパレル会社ハニーの代表は、「初めは子どもたちへの接し方に自信がありませんでした。小学5年生に何が出来るだろうと自分に問いかけ、不安を感じたのを覚えています。しかし、活動が進むにつれ、子どもたちは彼ら自身で考えるようになりました。一生懸命働き、問題を解決しながら、短期間で自信を付けていく子どもたちを見るのは素晴らしいことです。」と述べています。
 
同様に、スポンサー企業としてブースを構えている、コンビニエンスストアチェーン店ローソンの従業員は、同じような子どもたちの変化を目にし、次のように述べました。「最初は小さな声で控えめな表情で販売員を始めた子どもたちも、お客さんに喜んでもらったときは笑顔になります。このような体験型学習活動は、生徒に自己肯定を学習させ、自己発見へと導いていくのです。」
 
一人の親は「普段の生活では見ることの出来ない、仕事をした時の子どもたちの真剣な顔を見て感動しました。子どもの顔は達成感で満ち溢れ、それを見て感動して泣いてしまいました。」と話しました。
 
同じように実際の街並みを模したファイナンス・パークでは、中学生が仮想の家計を任され、住宅費、税金、健康保険、その他保険、食費、衣服代、貯金の予算を立てるよう求められます。また、企業のブースをまわり、個人個人に与えられた家計内でやりくりし、毎月の可処分所得がどの程度残っているかを確認しなくてはいけません。ここで、生徒は、借金、クレジットカード、ローン、投資、貯金、金利、株式市場について学びます。
 
子どもたちに将来の彼らの社会での役割や経済を理解させる目的は、大人になることの現実的課題に対し、前もって準備し、責任感と自立心を育成し、野心的なキャリアのためやる気を起こさせることにあります。ブース出展しているスポンサー企業は、地元地域の再建に貢献する豊富で企業家精神あふれる若者の世代育成を望んでいます。
 
大和証券や三菱地所などといった企業は、投資や住宅を選ぶ、大人の決断の複雑さについて子どもたちに紹介しているこのプログラムを高く評価しています。また通信業者のKDDIの代表は、以下のように述べています。「普段、中学生は家計支出など考えることなく日々の生活を楽しんでいます。だからこそ、ファイナンス・パークでの活動は彼らにとって、とても重要なことです。子どもたちは、家計の何%が携帯やインターネット代に使われているのかを理解する必要があるからです。」
 
同プログラムを受講した生徒たちはこう述べています。「お金は重要だということを学び、これからは両親に四六時中モノを買ってとは頼めません。」また、別の生徒は、「この経験はお金に対する理解を変えました。僕はいつも毎月の自分のおこづかいを使い切っていました。しかし、ここではその範囲内でやりくりすることが出来なかったために、計算を繰り返し、欲しかったものを最終的にあきらめなくてはなりませんでした。それでも僕は全ての支払いを済ませたことを嬉しく思うし、出費の計算を楽しいと思えることがわかりました」と話します。
 
「このような子どもたちへの教育は、この東北の復興を担っていく者たちにとって最も重要です。」と地方自治体の担当者は説明します。
 
宮城県仙台市、東北大学工学部のカタールサイエンスキャンパス(QSC)でも、同じ目標を掲げています。工学部のレポートによると、“優秀なエンジニアと研究者の育成”は、日本にとって大きな課題で、特に東北地方では人口減少や被害を受けた地域での仕事の需要の減少により、その問題が顕著化しています。
 
同レポートでは、若者はますます少なくなり、工場で働く人々の数も減少が見込まれ、東日本大震災後、再生可能エネルギーや、節電機能といった新しい産業が、古いエネルギー技術の後を継ぐことが予想されています。また、3Dプリンターのような新デジタル製造技術の重要性も強調しています。「将来のエンジニアや研究者を育てるためには、被害を受けた地域の子どもたちが科学や製造技術に興味を持つことが必要です。」とまとめています。
 
さらに、地域の学校は、科学機器や最新のコンピューター関連のソフトウェアなどが不足していると報告しており、まだ授業も仮設教室で行われています。2014年には、カタールフレンド基金からの助成金を使用し、東北大学のキャンパス内に、子どもたちのために太陽光発電を備えたカタール・サイエンスキャンパスホールを建設しました。これまでに19,000人以上の生徒と先生が利用し、その恩恵になっています。
 
サイエンス・ワークショップは、270度のパノラマ画面と、3Dプリンターと精密切削加工の機械や、太陽光で育つ植物工場を備えたカタールフレンド基金ホールで開催されました。ワークショップは、LED照明をつくったり、宝石を研磨したり、果物からバッテリーをつくったり、口の中に生息する微生物の実験や、音声合成システムを利用した喋る絵本を作るなどを様々なテーマで開かれています。
 
大学では、学校の先生向けに、ロボット工学や、教育心理学、放射線についての理解などについても講義を行っています。例えばソニーは、女性のための科学プログラムとして、女性指導者とともにAMラジオや風力発電機の製作、電子顕微鏡をテーマにした講義を後援しています。
 
東北大学のカタールサイエンスキャンパス(QSC)では、も夏休みを利用したファクトリーツアーも開催しており、コカコーラのボトリング工場やJAXA角田宇宙センターへの工場見学ツアーを実施しています。JAXA角田宇宙センターでは子どもたちが大型液体燃料ロケットエンジンについて学び、自分たちのロケットをペットボトルを使って、製作します。JX日鉱日石仙台製油所では、原油や液化石油ガスがタンカーから運び込まれる様子を見学し、キリンビールの仙台工場ではビールの製造、缶や瓶詰めされる様子を見学します。
 
子どもたちの反応は、非常に積極的で、98%がまたチャレンジしたいと答えています。一人は「科学のクラスは嫌いだったけど、ワークショップに行って科学に興味がわきました。」と答え、また別の一人は、「学校で使う顕微鏡で見るより、細かいところまで見ることができた。楽しくて、面白かった。」と答えました。
 
宮城県にある亦楽小学校の先生は、「生徒たちの多くはまだ仮設住宅に住んでいます。災害によって生活に大きな変化を受けた子どもたちにとって、教室の閉鎖的空間から飛び出し、最新の技術に触れる機会は、未来へのライフラインなのです。」と述べています。
 
文責:ルーシー・アレクサンダー

 

2016 年 03 月 11 日

シリーズ2 水産業分野

“女川と釜石のチャレンジ”
 
何千年もの昔から、日本人の生業は米を作る農業か、漁業が大半でした。とくに漁業は、日本を取り囲む3万キロもの海岸に集まる豊かな恵みを、鯨漁から、真珠漁、海藻漁などを通じて享受してきました。
 
2011年3月に、世界でも有数の豊かな漁場として広く知られていた東北の三陸海岸が、地震、津波、原子力発電所事故の被害に遭い、壊滅的な打撃を受けました。災害のあと、三陸海岸の漁業の復興は急務となりました。カタールフレンド基金(QFF)など海外の支援団体は、地元の自治体と協力し、近隣の漁業復興と近代化のサポートを行いました。その活動は今日まで続いています。
 
復興支援については、大きな課題が残されています。昨年、岩手県や宮城県にある水産加工場の半数では、震災前の稼働率の80%、もしくはそれ以上の稼働率でした。しかし放射能汚染の懸念が未だに強い福島県では、稼働率が25%しかないことが、水産庁の調査でわかっています。復興の遅れは主に労働力不足によるもので、その原因は国内の出生率の低さ、海外からの移民が限られていること、そして都市部への若者の集中が考えられます。
 
地方から都市部への人口流出を止めるため、漁業を中心とする自治体ではインフラへの投資と雇用創出のための資金集めを懸命に行ってきました。2012年に、カタール国の寄付を元に、日本財団がプロジェクトを実施し、宮城県女川町に、最先端技術を駆使した多機能水産加工施設「マスカー」が建設されました。
 
震災前、女川町では人口の1/10にあたる1,300人が漁業に従事し、毎年、秋のサンマの水揚げ量がもっとも多い町としても有名でした。しかし、2011年の震災によって、住民10,014名のうち、800名が亡くなり、漁業の雇用も85%が消滅しました。倉庫などの設備も津波に流されたため、漁の水揚げもできなくなり、女川港に寄港する船の数も、震災前の480隻から88隻までに減ってしまいました。
 
女川町の被災者たちは、生きていくため、町の外への移住を選び、震災から1年後、マスカー建設プロジェクトが始まった当時、女川町の被災者のうち、20%は移住しており、町の税収は枯渇していました。2013年までに、女川町の人口は以前の震災前の半分近くにまで減ってしまいました。
 
QFFが助成する再建プランに、地元の自治体が合意し、QFFによる20億円の助成金により、多機能水産加工施設マスカーの建設が2012年に始まりました。マスカーにより、水産加工を行う労働者の雇用が創出でき、また漁師が水揚げした魚を貯蔵する設備として活用できます。
 
高床式構造を持つ建物は高い耐震性を誇り、地震や津波の発生時には避難所として使うこともできます。さらに通常のインフラに加え、屋上に設置したソーラーパネルから電気を使うこともできます。
 
東北地方の人々にとって、復興は遅々として進んでいません。その中で、マスカーの建設プロジェクトのスピードや、革新的な技術の導入、官民連携による協力モデルの採用などは、例外として歓迎されました。また、プロジェクトの実施が、政府を動かすきっかけにもなりました。
 
震災直後、政府は破壊された護岸を再建する旨を公表していましたが、女川魚市場買受人協同組合によると、その後、特に動きはありませんでした。しかし、マスカーが稼動した直後に政府は護岸建設を始め、東北地方で最初に女川の護岸と防波堤が再建されました。政府は80億円の予算を投入し、マスカー周辺の宮ヶ崎地区の水産加工業の復興を本格的に支援する予定です。
 
女川港に水揚げする漁船数は、2011年の88隻から2012年には236隻まで回復し、サンマの漁獲量も、2011年の7,803トンから2012年には15,953トンにまで増えました。時事通信によると、女川港は2012年、日本にある32の港のうち、最大の回復率を見せ、数量で前年比161%の増加[u1] を見せました。寄港する漁船数、漁獲量、水揚金額など、すべての面で女川港は毎年、回復を続けています。
 
復興の早い段階で、地元の漁民はマスカーの建設に希望を見出しました。生計を立てる術を失った多くの人たちが、協同組合に対し、「一日ごとに建物が形になるのを見て、女川を出るのをやめようと思った」と話しています。
 
女川町観光協会の遠藤琢磨事務局長も、同じような気持ちを語りました。「自宅が津波で流され、仕事もなくしました。町を出て、家族のためにも新しい生活を始めたほうがよいかと考えました。でも、子どもたちは町に残りたがっており、私も女川の復興のために一肌脱ぐことに決めました。5年後のいま、QFFのおかげもあり、かつての水産業の勢いが戻ってきました」
 
女川町から150キロ北へ移動した岩手県唐丹(とうに)漁港では、漁業組合による革新的なコミュニティ復興の試みがなされていました。 
 
唐丹町は釜石市の南端に位置し、湾を囲んで7つの村があります。震災前、町の人口の1/5にあたる2,106人が漁業に従事し、ウニやあわび、ホタテやわかめ漁で生計を立てていました。津波により、32名の住民が命を失い、1/3以上の住宅が倒壊しました。2校あった学校の校舎と、470隻の漁船のうち460隻が流されました。
 
当初、人々の生活が成り立つような産業を復興するのは不可能に思えました。水産加工業者は長年、低い収益率に苦しんでおり、新しいインフラ投資に積極的ではありませんでした。しかし、釜石ヒカリフーズ株式会社だけは、新しい凍結技術を導入することで加工品の鮮度を良くすれば、製品が高く売れ、マージンも大きくなると考えたのです。
 
釜石ヒカリフーズは2011年8月に、唐丹町に新しい工場の建設を始めました。これは震災後、岩手県で最初に創業された水産加工会社です。釜石ヒカリフーズはプロトン凍結という技術に投資しました。プロトン凍結とは、品物が凍るときの「氷の粒」をできるだけ大きくしないようにすることで、細胞破壊を防ぎ、鮮度をそのままに凍結することが可能な技術です。
 
新しい会社だったため、同社は政府の復興助成金を受ける資格がありませんでした。釜石ヒカリフーズはQFFに助成を申請し、必要な資金の1/3にあたる9,400万円の助成を受けました。佐藤正一代表取締役は、QFFの支援を受ける前は毎月のように銀行に融資を頼まなければならなかったと振り返り、次のように話します。「お金が欲しいと周りに言うだけではうまくいきません。釜石ヒカリフーズの企業活動を通して何が得られるのかを理解してもらわなければなりませんでした。地元の地域や住民に利益があり、仕事を通してモチベーションや誇りが持てることが大事なのです」
 
創業当初、町を出る人が多い上に、多くの住民が復興建設ブームで仕事を得ていたため、働く人がなかなか集まりませんでした。そのため、釜石ヒカリフーズは、日本では珍しいインセンティブを職場に導入しました。フレックス制度と現場のBGMです。
 
「多くの人が仮設住宅で暮らし、ストレスを感じていました。工場では、従業員がリラックスできるように音楽を流し、働きながら楽しめるようにしました」と広報担当は話します。結果として、新卒の就職先として人気が出て、従業員の平均年齢は36歳と、近隣でも珍しいほどに若くなりました。
 
釜石ヒカリフーズのプロトン凍結機を使った水産加工品は、鮮度や産地にこだわる日本中のレストランから買い付けられるようになりました。競合よりも高い値段で商品を売ることができ、唐丹湾で働く漁師たちの水揚げに対しても良い報酬が払えるようになりました。
 
また、釜石ヒカリフーズは、従来の日本の会社に負担を強いる、煩雑なサプライチェーンの仕組みにメスを入れました。釜石ヒカリフーズはインターネットや直接取引により、レストランや店舗に仲買を通さずに販売します。また、復興に絡めて唐丹ブランドの物語を作り、観光客やメディアにアピールしています。
 
2015年の第1四半期には、同社の目標の倍である、全国2,956人の顧客から注文を受けました。昨年3月までには、目標をはるかに超える、1億7,400万円の総売り上げを達成しました。ヒカリフーズでは、2017年までに売り上げが3億円を突破すると予想しています。
 
釜石ヒカリフーズの広報担当者は、「当社のプロジェクトが、人口が流出した漁村の自信を取り戻した再建例として、モデルケースとなれば幸いです」と話しました。
 
釜石ヒカリフーズやマスカーは、昔ながらの産業への革新的なアプローチを試みた多くの例のひとつに過ぎません。日本で長年、「3K(きつい、汚い、危険)」と呼ばれていた水産業は、改めてイメージの刷新に取り組んでいます。一般社団法人フィッシャーマンジャパンは、東北地方で新しく立ち上げられた業界団体で、漁業を「真にカッコよく、稼げて、革新的な」ものとして、2024年までに若い漁師を1,000人増やすことを目標としています。
 
東北の人々は、人口構造の変化の中、崩壊したコミュニティの復興に際して、起業精神をもって立ち向かっていく姿を体現しています。何もないところからのスタートで、会社は革新的な手段を取り、新しい技術を導入する勇気を持ちました。しかし、スタート時に海外からの支援がなければ、ビジネスの芽もこのように大きくは育たなかったでしょう。東北地方の復興を通して「コミュニティ」の定義が大きく変わりました。近くにいる友人はもちろん、遠く海を隔てた友人も仲間となったのです。
(写真は宮城県女川魚市場)
 

 

2016 年 02 月 11 日

シリーズ1 健康分野

来月で、数知れない人々の命、帰るべき家やコミュニティを奪った未曾有の大災害が東北地方を襲ったあの日から5年になります。かつてない規模の地震と津波がもたらした瓦礫と、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって放射性を帯びた残留物の多くは取り除かれましたが、人々の精神や心についた傷はまだ癒えていません。

生き残った人たちの生活を再建するための地道な努力が、陰日向に行われています。1億ドル規模のカタールフレンド基金(QFF)など、国際的な支援団体や外国政府の援助が、日本政府や各地のコミュニティと協力して、東北の人々の直接支援に使われています。

2011年3月11日の地震によって起きた津波により18,554人が亡くなりました。被災後にも3,401人が震災を原因として亡くなっています。亡くなった人たちの中には自殺した人や避難生活に耐え切れなかったお年寄りなども含まれます。生き残った人たちも、愛する家族を亡くし、先祖伝来の共同体から離れて暮らすことに、大きなストレスを感じています。
避難民の数は、当初の470,000人から182,000人にまで減りました。避難民の多くは福島県の出身で、放射能汚染のため、もしくはその恐れがあるため、住んでいた家に戻ることができません。朝日新聞によると、避難民の60%は未だに仮住まいを余儀なくされ、多くは住みにくいプレハブの仮設住宅に住んでいます。

被災地の住民の健康状態への影響は計り知れません。国連による2013年の報告書によれば、放射線への曝露を原因とする死が、少数にしても、予測されています。放射能への恐怖が、失業、孤立感、絶望などと相まって、被災地を深く傷つけてきました。
この分野をリードする日本医療政策機構の調査「日本における災害後メンタルヘルス: 学びと課題」によると、震災により「恐怖、不安、認知症、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、抑うつ、自殺」などが引き起こされるという影響があります。さらに、「長期にわたる避難生活や厳しい経済事情が原因のストレスによって、家庭内暴力やアルコール依存症などの問題が悪化する」とされています。

日本の内外から多くの支援団体が、人々の苦しみを減らすため、東北で活動しています。カタールフレンド基金(QFF)の支援は、医療・保健分野に加え、子どもの教育、漁業、起業家支援の4つの分野を通じ、震災で甚大な被害を受けたコミュニティを中心に支援してきました。
 
そのひとつが、福島県のスポーツ施設の再建と改善を、約6億6,400万円の寄付を使って行なったプロジェクトです。放射能汚染により、被災地の子どもたちの行動は厳しく制限され、外で遊ぶこともできませんでした。2012年12月に行われた子どもの肥満度調査では、福島県の子どもが日本でもっとも肥満度が高いという結果になりました。

これがきっかけとなり、自治体からQFFから助成を得て、東京電力福島第一原子力発電所から80キロ離れた白河市にあるスポーツ施設を整備することになりました。2014年末までに、新たにスポーツセンターが建設され、震災によって大きな被害を受けた体育館と競技用トラックも整備、近代化されました。将来、大規模な災害が発生した際には、トラックをヘリポートに、そして建物を緊急避難所にするなど、施設が転用できるように設計されています。

新設されたアナビー(ANNABI)スポーツプラザは、太陽発電を部分的に使用し、子ども用のプレイルーム、屋内フットサルコート、ジムなどの設備を備えます。カタールスポーツパークと名付けられた運動場内の屋外の競技用トラックの放射能汚染も、大規模な復興工事により安全なレベルまで引き下げられました。近隣の学校はこのグラウンドを使い、練習や競技大会を行っています。
自治体は、「(プロジェクトは)カタールフレンド基金の支援がなければ不可能でした。カタールの皆さんが、東北の子どもたちの未来を明るくし、市民の健康改善のため、このような遠く離れた白河市に寛容にも手をさしのべてくださったことに深く感謝します」とのメッセージを寄せています。
QFFにとって、被災地に住む社会的に弱い立場にある子どもや、障がいのある子どもたちの苦しみは特に看過できないものでした。子ども達のため、QFFは難民を助ける会(AARJ)と岩手県の盛岡市立病院(MMH)に約4億3500万円を寄付しました。
この寄付金を使い、AARJは重い身体障がいを負った子どもたちや大人たちに必要な特殊な医療器具を購入しただけでなく、放射能汚染が高かった23の地域のコミュニティセンターに、被災した子どもたちのための室内遊具を提供しました。福島市にある、虐待を受けた子どもたちが暮らす養護施設では、津波や放射線によって使えなくなった遊具に変わり、新品のブランコ、おもちゃ、砂場やバスケットボールコートが提供されました。遊び場は近隣住民にも公開され、施設に住む子どもたちとの交流も期待されています。
「公園で遊んだことがなかった子どもたちが、今では笑ったり、遊んだりして、普通の子どものように過ごしています」と施設の先生は話します。「子どもたちの笑顔を見ることができて本当にうれしいです」
障がいのある子どもたちのための図書館やコミュニティ施設なども、AARJによって修繕、整備されました。そのひとつが宮城県多賀城市にあるデイ・センターです。ここは仙台の海岸から2キロしか離れておらず、津波によって流されました。AARJは施設を安全な場所に移転し、図書室を増設しました。センターの管理責任者によると「図書館がまた使えるようになって、子どもたちの精神状態が見違えるようによくなりました」と話します。

AARJはまた、故郷に帰れない子どもたちと親が、放射線量が低い地域でのびのびと1日過ごせる遠足も実施しました。ある母親は「子どもたちが楽しそうにしているところを見てうれしい」と言いました。この母親は、子どもたちが外で遊べないばかりに「口に出せないストレス」がひどくたまっていたことに気付いた、とも話していました。

被災したお年寄りは、住みなれた家、家族や友人から切り離され、仮設住宅での暮らしを余儀なくされています。多くは家族や友人を亡くしており、震災によって最も大きな苦しみを受けたと言えます。お年寄りたちの多くは、精神的、肉体的な健康問題をいくつも抱えています。AARJによると、避難民の中でもお年寄りは「仮設住宅が市街地から離れているため、社会との接点を失う傾向が強い」そうです。東北地方に住む人々の内向的な性格に配慮し、避難民と近隣住民のコミュニケーションが円滑になるように援助して、避難民の孤立を防ぎ、自殺のリスクを減らす努力も必要です。

AARJとMMHは理学療法士や作業療法士、カウンセラーを派遣し、体操やガーデニング、料理教室や音楽会などのコミュニティイベントや、移動クリニック活動を通じて、7,500人以上の避難民のサポートをしてきました。

仮設住宅に住む人たちに大きく受け入れられた活動のひとつが菜園活動です。AARJによると、避難民のおよそ40%は震災前、家庭菜園で野菜や花などを育てていました。しかし、その家や庭は今では汚染区域に指定されています。AARJはプランターや菜園区域を用意し、仮設住宅の住民に提供して、ガーデニングサークルを設立しました。参加者の一人は、「仮設住宅に3年も住んでいると、やることもなく、体調がどんどん悪化していました。今日は菜園用の木枠作りをして元気がでました」と話しました。

保健分野の活動の仕上げとして、QFFは約3,800万円の予算をかけ、エコ食品健究会という、ガーデニングを通してストレスを解消し、避難民の健康改善に取り組む団体との協力プロジェクトを行いました。野菜栽培によって、農業や漁業などで生計を立てる術を失った避難民に仕事を提供し、仮設住宅という、調理もままならない環境にある子どもたちに育てた新鮮な野菜から栄養を摂取するような活動にもなっています。

会によると住民たちは「収入源を失って経済的に困窮し、さらに精神のよりどころを失って精神的にも行き詰っています。人生をよりよくしていこうという意欲が削げてしまい、人々はどんどん精神的、身体的に体調を崩しています」
そこでエコ食品健究会が避難民に勧めているのが野菜栽培です。避難民が屋外で過ごす時間を増やすことで、社会と交わる機会を増やし、孤立感を減らすのが狙いです。会では親が野菜を育て、調理して子どもたちと食べることで家族間の問題も減り、作物を近隣市場で販売することで経済的な問題も解消していきたいと考えています。

これまでに紹介した例も含め、多くのプロジェクトを通して、政府や自治体による助成が届かないところに支援団体や海外のドナーが手を伸ばし、人々の苦しみを減らすためにクリエイティブな解決方法を提供してきました。災害の爪痕と、放射能汚染、コミュニティの離散は、我慢強いことで知られている東北の人々にとっても重すぎる負担です。カタールフレンド基金をはじめとした支援団体やドナーの援助によって、人々の負担が少しずつ解消されることが望まれます。
 
 

 

 

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